オタモイ地蔵

おすすめポイント

オタモイ地蔵はオタモイ海岸にあり、子宝のご利益があるということで、お礼参りに持ってこられたものが増え、お地蔵さまが3000体以上もあります。

遥か昔の伝説では、積丹半島の神威岬より北が女人禁制だった時代、身ごもった女性が忍路漁場に働きに出ていた夫に会いに船倉に身を潜めていましたが、神威岬に船が近づくと海が荒れ、女性が自分の責任と感じ身投げをしました。そしてオタモイ海岸に打ち上げられた女性の遺体の胸からしたたり落ちる母乳が、人々の哀れを誘い、小さな地蔵堂に葬られました。以来この地蔵は子宝地蔵と呼ばるようになったと言われています。

オタモイ地蔵を代々守っていた村上さんが亡くなられ、2023年7月現在では、オタモイ遊園地跡地から続くルートは、がけ崩れなどにより通行止めになっているようです。

基本情報

名称オタモイ地蔵
URL
所在地北海道小樽市オタモイ4丁目34
アクセス
駐車場
拝観時間
拝観料
問合せ先TEL:0134-26-3364(未確認です)


口コミ

オタモイ地蔵尊
4.4
Based on 22 reviews
powered by Google
MEGUMI KAJIMEGUMI KAJI
16:42 07 Jul 23
立ち入り禁止なので残念ながら 行くことができませんでした😞山側からも検索してみましたが 道をみつけることができず あきらめました😞
S Hi-bS Hi-b
15:03 21 Jun 23
堂守りさまのご逝去が、ご遺族により公表されたようです。地蔵堂および周辺の持ち主である堂守りさまご一族をはじめ有志により、6/25(⁠日⁠)、例祭が、オタモイ地蔵堂や龍宮閣あとを見渡す七曲り下の市営駐車場ひろばにて決行されるとのこと。大法山妙龍寺さま奉修。 随喜しましょうネ
aachanaachan
01:21 11 Jun 23
最近までこの地蔵尊を守っていた方がここに住んでいたと知り驚きました。再開発が進んでいますが、今後こちらはどうなるんでしようか。
我自由丸我自由丸
07:54 23 Apr 23
ニトリと自治体によりオタモイ遊園地を復活させる計画が持ち上がってそうですが、オタモイ地蔵尊も存続させていただきたいと願っております🙏
大草敏史大草敏史
01:08 26 Feb 18
断崖絶壁の地にたたずむ3000体の地蔵。別名「子宝地蔵」といわれ、子宝に恵まれない夫婦に根強い人気がある。建立したのは、忍路、高島場所の場所請負人であった西川家で、神威岬の難所で沈んだ船人の霊を弔うため、地蔵碑の建立を発願したのに始まるといわれている。水難事故が多く、初めは6体の地蔵が祀られた。地蔵が建立された当時は娯楽と呼べるものがなく、地蔵に参拝することも「娯楽」のひとつであった。多くの人が地蔵尊を訪れ、乳が出るのを望む者、勉強がよくできるよう望む者、金が欲しいと望む者と、その願いは様々で、当時は食糧事情が悪く精神的に良い状態ではない者も多かったが、地蔵を参ることで気持ちが穏やかになった。そして参拝したうちの1人である乳が出るのを望んだ者に、精神の状態が良くなったため無事に乳が出るようになると、「オタモイ地蔵尊に祈願すれば乳が出るようになる」という言い伝えとなって広まった。言い伝えられるうちに話は変わり、いつの間にか「オタモイ地蔵尊に祈願すれば子どもができる」といわれるようになった📖オタモイ地蔵尊の信仰地蔵尊の下の海岸から石を1つ拾い、地蔵の前に置いて願い事をした。願い事が終わったらその石を持ち帰り、撫でた。のちに子どもを授かったら(願いが叶ったら)、再びオタモイ地蔵尊を訪れ、もう1つ石を拾い、持ち帰った石と合わせて2つの石を地蔵の前に置き、帰った。そして、毎年6月24日と10月24日に日蓮宗のお坊さんがお祓いのために訪れ、お祓いが終わると地蔵の前に置かれていた石を全て海に返すことになっていた📖元禄四年松前藩は西部神威岬以北へ婦女の通行するを禁ず松前藩は、神威岬から北の通行を女人禁制とした。それは神威岬の先端には嫉妬深い女神がいて、沖を通る船に女人が乗っていると必ず激しい風と高い波浪で船が沈められると信じられていたことに由来する。越中(現富山県)高岡在住の医者の一人娘には、親の反対で無理やり引き離されてしまった心を寄せる若者がいた。若者は故郷を捨て、当時としては生きて帰れるかも分からない北の果て、西蝦夷地に渡っていった。残された娘には命が宿っており、恋人の後を追って魚津(現富山県)の港に寄港した北前船の積荷の間に身を隠して旅を続けた。しかし神威岬の沖まで来ると天候が悪化し、海は大荒れとなった。この時隠れていた娘が出てきて、「この海神の怒りは、禁制を犯してここに乗り込んだ私のせいです」と、荒れ狂う波間に身を投げてしまったという。たちまちに海の様子は穏やかになったが、娘の姿はどこにも見えなかった。そして1847(昭和22)年4月24日の朝、波にはだけた胸乳から白く乳が滲み出た妊婦の亡骸がオタモイ海岸に打ち上げられた。この悲恋の物語を聞いた忍路漁場第七代支配人の西川徳兵衛は、郷里の近江の国で御影石の地蔵尊を刻ませ、このオタモイの高台に祀ってこの妊婦を供養した📖オタモイ地蔵尊伝説(1)オタモイ海岸に打ち上げられた娘を、付近の漁師たちが小さなお堂を建てて葬った。お堂を建てた漁師のひとりに松蔵という若者がおり、彼は郷里越後に妻を残してオタモイに稼ぎに来ていた。この夫婦は子宝に恵まれず、松蔵は毎日のようにお堂の地蔵に子供が授かるようにと祈願していたところ、後日帰郷後めでたく子宝を授かったという。この話が広く伝わり、「子宝地蔵尊」と呼ばれるようになった📖オタモイ地蔵尊伝説(2)忍路、高島の場所一帯を請け負って大変な財を成した西川徳兵衛が、海への感謝と神威の海で命を失った人々を弔うため、1848(嘉永元)年、100体の地蔵尊の建立を発願した。後年西川家11代西川吉之輔が先代の残した古文書でこのことを知り、探索の末6体を発見することができた。そのうちの1体がオタモイ地蔵尊である📖オタモイ地蔵尊伝説(3)1893(明治26)年頃、鹽谷村山印金澤佐市の妻イワは、娘を育てるのに乳不足で悩んでいた。ある時、「オタモイ地蔵尊を祈ればお乳が泉の如く出るだろう」との御告げがあり、その翌朝から熱心に信仰を凝らすとたちまちたくさんの乳が出るようになった。イワはこの話を口にはせず、郵便を使って知らせたが、その噂はすぐに広まり、大勢の信仰者が訪れるようになった。自ら真似て作った地蔵尊を持参して奉納する者も多かった📖オタモイ地蔵尊伝説(4)稲穂町の農家の嫁がオタモイ地蔵尊に祈願したところ、乳が出すぎていたため怨みの言葉を放つと乳が止まってしまった。再び懇願すると、乳が出るようになった📖オタモイ地蔵尊伝説(5)鹽谷村山印金澤長太郎の息子は、普段からオタモイ地蔵尊を信仰していた。彼が在学中のある日、難しい試験において奇跡的な救いを受けて通過することができた
js_loader

その他

ニトリと自治体でオタモイ遊園地の再開発計画が持ち上がっているようですが、オタモイ地蔵がどうなるのか気になります。

ニュース

妊活をされている方のブログは下記でいろいろ見つかります。
ランキングにもなっているのでポチっていただけると励みになります♪
にほんブログ村 赤ちゃん待ちブログ 妊活へ妊活ランキング

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA