清水観音堂

清水観音堂

おすすめポイント

清水観音堂は上野公園内西郷さんの銅像の近くにあります。脇本尊である「子育観音」は昔から「子授け観音」の別名があり、子宝に恵まれない夫婦が祈願すると子供が授かると伝えられています。
念願が叶って子供が授かった夫婦は、そのお礼と子供の無事成長を願って「身代わり人形」を奉納する習わしです。

基本情報

名称清水観音堂(寛永寺)
URLhttps://kiyomizu.kaneiji.jp/
所在地東京都台東区上野公園1-29
アクセスJR・京成電鉄・東京メトロ 上野下車 徒歩5分
駐車場なし
拝観時間開門:9:00~17:00
拝観料無料
問合せ先TEL:03-3821-4749


口コミ

清水観音堂
4.2
Based on 1098 reviews
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よしちゃんよしちゃん
06:51 30 Apr 23
徳川幕府のブレーンとも言われた天海大僧正が、1631年に東叡山寛永寺境内に建立、寛永寺は江戸城の鬼門を守る為に建て、清水観音堂は京都の清水寺に見立てたお堂だと言われ、江戸時代後期には庶民の行楽地として人気だったとか、浮世絵師歌川広重の「名所江戸百景」には「月の松」として風景が残り、不忍池の弁天堂が収まるように、松の幹を細工する職人の技も感心ですが、懸け造りの舞台から「月の松」を通した眺めは面白く、「月の松」との呼び方も粋ですね。お祀りする秘仏「千手観世音菩薩」は、生きるもの全てに慈悲の手を差し伸べる仏様、懸け造りのお手本とした京都清水寺から移され400年余り、今も昔も御利益を求めお参りします、お参り後は御本尊の千手観音の御朱印(書置き)を頂戴しました。
F.N.E.KF.N.E.K
22:38 16 Apr 23
寛永寺を開山した天海が京都の清水寺になぞらえて建立した清水観音堂。不忍池を臨む清水の舞台の前には、歌川広重の浮世絵にも描かれている月の松が配されています。
JACKPOTJACKPOT
11:30 23 Mar 23
上野恩賜公園の真ん中辺り、古くからの名所であろう清水観音堂。いかにも下町の風情溢れる雰囲気で、とても味があります。本堂前の舞台からはこれも昔からの名所のような、幹が円を描いた松がすっくと佇んでいます。桜の見頃の頃はここも賑やかになるのかな。
山口克身山口克身
12:41 20 Nov 22
清水観音堂は二代将軍徳川秀忠公から寄進された上野の山に、平安京と比叡山の関係にならって『東叡山寛永寺』を天海大僧正が開きました。これは比叡山が京都御所の鬼門を守る思想をそのまま江戸に導入して、江戸城の鬼門の守りとしました。京都の有名寺院になぞられた堂舎を次々と建立しましたが、清水観音堂は京都の清水寺を見立てたお堂です。ご本尊は京都清水寺から遷座された【千住観世音菩薩】で、あらゆる世界の生きとし生けるものの全てに慈悲の手を差し伸べる姿だそうです。京都の清水寺の舞台を模したコンパクトな舞台があり、そこから歌川広重の浮世絵【名所江戸百景】に描かれた『月の松』も2012年に復元されたので、舞台から『月の松』越しに不忍池 弁天堂が覗けます。
よしみよしみ
06:18 02 Aug 22
2年ぶりに伺いましたが、清水坂下から見る月の松は、まわりの木が伸びたためか以前よりは目立たなくなってしまいましたが、やはり色鮮やかな観音堂をバックに見る月の松は素敵でした。観音堂の舞台から見る月の松の先には不忍池辯天堂があり、舞台から見る月の松もまた素敵です。月の松は歌川広重の浮世絵に描かれています。階段や坂があるので、少し大変な方もいらっしゃると思いますが、素敵な景色も見る事が出来ます。今日は平日だったからか、人も少なくゆっくり参拝する出来ました。御朱印は書き置きで頂きました。
イチタロウイチタロウ
05:46 19 Apr 22
二荒山(ふたらさん)神社の本社。良い空気が流れて、多くの参拝者で賑わっています。御祭神は、、二荒山大神 (ふたらやまのおおかみ)とのことです。東照宮ができる前から、霊峰二荒山(ふたらさん・日光男体山標高約2,480mを御神体山と仰ぐ神社で、日光の氏神様とのこと。御神域は、3,400㌶におよぶ広大な境内地とのことです。有名な華厳の滝や、重要文化財の神橋なども含まれるようです。男体山山頂に奥宮があり、中禅寺湖畔には、中宮祠。こちらは、御本社とのことです。場所は、日光東照宮券売所前(五重塔との間)の道を進むとすぐにあります。また、宇都宮市内みんみん本店近くにも分社があります。
背古井唯安背古井唯安
08:08 18 Apr 22
幕末、上野戦争で焼け残った数少ない寛永寺の一部。包囲殲滅戦の後、東京ドーム26個分にも及ぶ広大な寺領があたり一面焼け野原となり、見せしめのためか200体を超える遺体が放置されたこの場所が、時代の推移とともに文化芸術の中心、国民の憩いの場所となったのは喜ぶべきこと。当時作戦を指揮した大村益次郎は、後日この戦いの攻略法で対立した薩摩藩に謀殺されたとの説もある。戦闘は戦いと言うものではなく最新兵器を繰り出した殺戮に近いものであったと想像されます。それはほんの150年ほど前のことです。坂口安吾ではありませんが「桜の木の下には死体が埋まっている。」そのものです。先人の残した遺産と歴史を振り返らず、その上で安逸な生活を送り足元が見えなくなっていることを、我々はこの地に立って思い出すべきかもしれません。
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その他

清水観音堂は、京都東山の清水寺を模した舞台造りのお堂で、寛永八年(1631)天海大僧正により建立されました。
また、御本尊も清水寺より恵心僧都(えしんそうず)作の千手観音像を迎え、秘仏としてお祀りしているそうです。

初めは上野公園内の「擂鉢(すりばち)山」に建てられましたが、元禄初期に今の噴水広場の地に、寛永寺総本堂の根本中堂建設が決まると、その工事に伴って元禄7(1694)年9月に現在地に移築されました。
上野の山に現存する、創建年時の明確な最古の建造物だそうです。

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