おすすめポイント
産泰神社は本来、安産の神様なのですが、子授けの神様としても奉られています。
毎年4月4日に大祭が開催され、子宝を望む場合は、底のある柄杓(ひしゃく)を奉納し、安産を望む場合は底の抜けた柄杓を納めて祈願します。
基本情報
名称 | 産泰神社(金佐奈神社) |
URL | - |
所在地 | 埼玉県本庄市四方田288-1 |
アクセス | JR高崎線 本庄駅からタクシーで約10分 デマンド型バス(事前予約制)はにぽん号停留所:四方田 |
駐車場 | - |
拝観時間 | - |
拝観料 | - |
問合せ先 | TEL:0495-21-6672 |
口コミ
田中小荷
07:15 13 Sep 22
四方田金佐奈神社・産泰神社(しほうでんかなさなじんじゃ・さんたいじんじゃ)主祭神 素盞嗚尊 天照皇大神合祀神 木乃花咲耶媛 瓊瓊杵尊 火火出見尊配祀神 日本武尊由緒四方田(しほうでん)は、鎌倉時代に、武蔵七党の児玉党に属した四方田氏(よもだし)の本貫地でした。金佐奈神社は、「児玉郡誌」によれば、四方田五郎左衛門資綱がこの地に砦を築いた際に、その守護神として勧請し祀ったのが始まりといわれています。地内の「堀の内」には四方田氏の居館であったと伝えられる館跡があり、金佐奈神社の境内がこの館の東端に当たり、この立地からも、金佐奈神社の創建に四方田氏が深くかかわっていると推測できます。「児玉郡誌」は更に、延元二年(1337)に北畠顕家が薊山合戦の時、当神社に戦勝を祈願して、勝利を収めることができたので、奉賽として兜を奉納したことや、元禄年間(1688~1704)以来、地元の杉田家が代々神職として奉仕してきたことを記しています。また杉田家には、元禄十一年(1698)以降の裁許状六通の写しが保存されています。「風土記稿」には、四方田村の項に「金鑽神社 吉田家の配下、杉田摂津の持、村の鎮守なり」とあります。四方田金佐奈神社は、一般に「産泰様」として知られ、女性の守護神として広く信仰を集めています。これは、当神社が産泰神社との合殿になっているためで、産泰神社の信仰が盛んであったことを顕しています。そのため大正十年(1921)頃「金佐奈産泰神社」と社名を変更しようとしましたが、実現には至りませんでした。毎年四月の例祭日には、近郷近在はもとより他県からも多くの参詣客が集まり、安産を祈って底のない柄杓を奉納する習慣があります。また、例祭日当日には本庄市指定文化財「杉田組による金鑽神楽」が奉奏されています。(「境内案内板」参照)本庄市指定無形民俗文化財「金鑚神楽杉田組」この神楽は江戸時代より続く太々神楽です。明治十五年(1882)に行われた神楽の再編で、金鑽神楽杉田組として現在に伝えられています。神楽は、四方田金佐奈神社・産泰神社の春の大祭に奉納されています。(「境内標柱」より)
Yoshinori Morishita
10:52 26 Oct 19
(武藏國二之宮 金鑽神社の分社十一社の一社⑤)御祭神:天照大神、素盞嗚尊、木乃花咲耶媛。創建:鎌倉時代。本庄市には日常的な参拝で人気の神社が二つあるようです。一つはこちらの産泰神社で古くから人気があり、もう一つは最近のスポーツ人気の日本神社と言えます。こちらの産泰神社は本庄市・児玉郡に12社ある金鑚神社のひとつの金佐奈神社でもあり、2社の合殿という形になっています。御祭神の木乃花咲耶媛(コノハナサクヤヒメ)は女性の守護神(安産・子授け)として産泰神社の守り神になっているようです。創建は、ここ四方田の地を本貫地とした四方田氏で、四方田五郎左衛門資綱(すけつな)が鎌倉時代に勧請したとあります。(暦仁元年(1238年)将軍藤原頼経の随兵で四方田五郎左衛門資綱がいるという記録があります)産泰神社例大祭4月4日は有名です。「金鑚神楽杉田組」は本庄市指定無形民俗文化財になっています。(江戸時代より続く太々神楽で、明治15年の再編により金鑚神楽杉田組として伝えられています。)とあり、「金鑚神社 吉田家の配下、杉田摂津の持、村の鎮守なり」とある様に、江戸時代以降、京都・吉田家配下の杉田家が神職とてして奉仕してきたことが、神楽の伝承に影響しているようです。
杉田守康
04:24 12 May 18
旧社格は、村社です。御祈願、お札受け、御朱印等、お電話でお問い合わせの上、御予約下さいます様よろしくお願いいたします。駐車場につきましてはハニポンの看板を入って下さい。2台駐車出来ます。それ以上の場合は、宮司宅までお願いいたします。